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2011'06.15.Wed

再構築

私は純文学作家になりたいと思ってました。
大衆文学はなんとなく低俗だという偏見がありましたし。
その芸術性こそが認められるべきだとずっと思ってました。

私にはYという友人が居ます。
そいつ、天才なんです。
中学校の半分不登校だったのに、今や京都大学を目指している始末。
でもまぁ、こういう学問とか学歴のことは、たとえとしか使えません。
ヤツの本当にすごいところは、見極めているところ。
一見は理系に見えるけど、哲学的なことがちゃんと分かってる。
分かってるっていうのは、キチンと理解したうえで、さらに洗練されてるっていうことです。

昨日、そのYに諭されたんですよ。
「お前、純文学なんて才能が無いと無理だぞ」って。

私が作家を目指した理由は、ただ本が好きだったから。
文章を書くことの楽しさを知ったから。
出発点はそれでした。

そうして、色々考えて、ジャンルを知り、作家を知り、作風を知り。
単なる妄想から、人間そのものに視点を向けるようになり、もっとのめりこむようになっていきました。
仕事の間も、ずっとそれらを考えています。
でもだからって、作家になれるわけじゃない。

このご時世、見てください。
携帯小説だなんてものがもてはやされるこのご時世。
難解で美麗で病的な純文学なんて、誰がもてはやすのか?
モロに商業目的で大衆文学を書くしかないじゃないかと。
でも芸術と金は切り離しておくべきだと。

ちょっと考える時間を作ります。
勉強じゃなく、研究。
これもYが言ってた言葉です。

趣味から夢へ。私は自己陶酔に陥って、いつの間にか、霧を掴むようにして前を歩いていたのかもしれませんね。
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純文学論争が絡む問題ですね。
個人の意見としては、純文学というのは後の世の人が作り出したあやふやな名称に過ぎない、と考えています。

小説や映画・漫画には必ず好き嫌いが現れますし、それはどんな媒介を通すかどんな企業的利害が関わるかにも大きく左右されるでしょう。
一体どんな購買層客層読者層を狙ったモノを作るかで、収入の多寡は確かに変わるかもしれませんが、良いモノは不思議と後の世に残っていくものです。それに西村賢太『苦役列車』は今では珍しい堅い文体の私小説ですが、芥川賞をとっていますし。

ちなみに神山健治が「映画を劇場で1000人に1度見てみらっても、100人に10回見てもらっても興行収入は同じ。それなら僕は後者を作る」と言っていて、ひどく感銘を受けたことがあります。何かの参考になればと思います。

2011/06/16(木) 01:52:52 | URL | [ 編集]

クリストフ

私の尊敬するクリエイターは、
ケータイ小説だろうが馬鹿にせず取り入れるよ。

発信する仕事に就いている人間は、
インプットを増やすことが大事だからね。



まぁ、これはまた違う話だけどね。

2011/06/16(木) 21:31:50 | URL | [ 編集]

北向きの窓

>慧 さん

神山さんという方は存じ上げませんが、良い事を言う人ですね。
商業的なものを量産すれば、飯は食っていけるけど、自分に嘘をついてるような感じになります。私の場合は、ですけど。
本当に書きたいものっていうのは、やっぱり人の心。葛藤。苦悩。

だから私は一般で言われる『ライトノベル』っていうのは、あんまり好きじゃありません。
まあ、あれも著者が書きたくて書いていて、それが結果としてああいう物語になっただけのものだと思いますが。

>クリストフ さん

確かに何からでも、手に入れられるものっていうのはあると思います。
でも私はやっぱり好きになれないですね。
ちょっとは読む目が肥えた人でないと、重みがありませんもん。やっぱり。

これからはもっともっといろんな本を読んでいかないといかん、と思ってる次第です。

2011/06/17(金) 20:40:07 | URL | [ 編集]

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